2008年11月30日

私が台湾に行きたいと思った理由 その1

二年前のこと。

私に、ある出来事が起こりました。

その頃、私はある小説を書くために、プログラマーの仕事を辞め、家にいました。
朝、目覚めると、ふっと、私の中に全く別の小説のアイデアが降ってきました。

それは、戦争のこと。。

私が生まれる20年以上前に起こった第二次世界大戦。



それまで私は戦争のことは知りつつも、それと自分の小説に結びつけたことは一度もありませんでした。
確かに忘れてはならない、大切なことだけど、私には戦争のことなんて難しすぎて書けない。戦争の小説は他のひとがたくさん書いているし、私がそこに加わったとしても、何もできはしない。

そんなふうに思っていたのです。

でも。。

こどもたちの話なら。

実際に戦場で戦ったひとの話や、戦争で凄惨な目にあったひとの話は、実際に体験したひとにしか書けない。
でも、こどもたちの話なら。

そのとき、戦争の傍らにいて、日本が、世界が、大変なことになっていくのを、はらはらと、不安でいっぱいになりながら、小さな背丈で見上げていた、こどもたちの目線でなら。

書けるかもしれない。。

いや、書いてみたい。。。

それですぐに池袋に行き、戦争についての小説を何冊か買ってきました。
家に帰る道すがら、本屋さんのビニール袋の中で買ったばかりの小説がカサカサ鳴る音を聞きながら、また、ふっと、思ったのです。


これ、先生に聞いてみよう。。と。

当時、私は六本木のライタースクールという所に通っていました。
小説家になりたくて、15年くらい、ある先生のゼミで小説の書き方を学んでいました。

その先生は有名な出版社にお勤めされてた元編集者の方でした。

えっと、ここで少し脱線しますが、私は実の父とうまくいってなくて。。

つまり、大人の男の人が恐いのですね。
普通のときでも恐いけど、少しでもイラっとされたり、怒られたりすると、身がすくんで、頭が真っ白になり、しばらく口がきけなくなります。

でも、先生のことを恐いと思ったことは一度もありません。
優しくて、時にとても厳しいけれど、先生だけは特別というか。。
どんな時も深い愛を感じていたし、頭ごなしに理由も分からず叱りつけられることは一度もなかったからかもしれません。

私が恐いと思わずに接することのできた、唯一の大人の男の人。

その先生が、折に触れ、語っておられたのが戦争のことでした。
先生は1932年生まれ。
戦争中はまだ少年で、戦争には行けなかった。
けれど、充分に戦争のことを理解できる年齢でした。
そして、その後の日本と世界を見つめてきた。

先生は私たちに戦争のことを書けとか、一度も言ったことはありません。

そして私も、先生からいくら戦争の話を聞いても、それを自分で書こうなんて、これっぽっちも思っていませんでした。

でも、その瞬間、ふっと、私は思ったのです。

「先生こそ、戦争中のこどもだ。。」
と。

私は興奮し、
「先生を取材しよう!」
と思いました。
「先生から、戦争中に思ったこと、考えたこと、おとなたちの様子、学校で言われていたこと、戦争中のたべもののこと、とにかく、いっぱい、教えてもらわなきゃ!」

そして、それはどんなにか先生を喜ばすことか、と思いました。
先生と一緒に作品を作る。
それはどんなに素晴らしい体験だろう、と。

わくわくして、次の教室はいつ始まるんだっけ、と思った瞬間、ブルブルブル、と携帯に電話がかかってきました。

表示を見ると、同じくライタースクールに通っているY子でした。

「なになに、どうしたの?」
と明るい声で電話に出ると。

「あ、カナリヤちゃん、あのな。。」
と、暗い声のY子。

「どうしたの?」
「ああ、やっぱりまだ知らないんだね」
「え?何のこと?」
「あのな、落ち着いて聞いてな」
「う、うん。。」
「今朝、先生、亡くなってん」
「え!」

先生は癌で闘病中でした。入退院を繰り返し、厳しい状態ではあったのですが。。

「そんな。。」

私は呆然と立ちつくしました。

カサカサ、本の入ったビニール袋が鳴り続けていました。



posted by kanaliyahouse at 12:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 大切なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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