2006年03月15日

幼児虐待の根は私にだってある

おとついかな、テレビで見たある言葉がずうっと胸から離れません。
見るともなしに見ていたその番組は、かつて自分のお子さんを虐待していたお母さんのドキュメンタリーでした。

そのお母さんは昔、自分がこどもだったときに性的虐待の被害にあった方だそうです。

でも、そんな悲惨な体験を乗り越え、ちゃんと結婚してお子さんまで産んだ。
偉い方だなあと思いました。

けれど、気がついたら、お子さんを背中から蹴ったり、なぐったりするようになってしまったのだとか。。。

とはいうものの、申し訳ないけれど、私自身は結婚もしてないし、こどももいないし、痛ましいとは思いつつ、どこか人ごととして見ていたのですね。でも。。

どうして自分の子どもを蹴ったり殴ったりしていたのか、その当時の気持ちをお母さんが語り始めたとき、あ、と思いました。

お母さんは
「ずるい」
って、思ったのだそうです。

「私は誰も助けてなんかくれなかった。どんなに苦しくても、ひとりで苦しむしかなかった。なのに、この子はどうして、何の苦労もないのか。どうしてこの子だけのうのうとしていられるのか。そんなのはずるい」
って。

こどもに罪はないこともわかっているし、そんなことを思うのは理不尽だってこともわかっているけれど、どうしても、ずるい、って気持ちが拭えずに、つい、虐待をしてしまっていた。。
とお母さんは告白なさいました。

で。。
私はその「ずるい」ってフレーズに、ドキンとしたのです。

それは。。
私にも覚えがあるからです。

2年ほど前、ライタースクールの仲間から、
「小説の書き方を教えて」
と言われたことがありました。

えっと、私はへなちょこですが、小説をずうっと勉強しています。まだまだヘタだし、賞に応募しても落ちるだけですが、ずうっと書いているので、ライタースクールの中では、そこそこうまい組に入れてもらっています。

そのひとはエッセイをずっと勉強してきたひとで、小説はほとんど書いたことがないし、正直、あんまり得意ではないようでした。

教えて、と頼まれた時、私は嫌な気持ちになりました。

だって、私はヘタなりに、小学校二年生のときから、もう35年くらい書き続けているのです。それでまだ、こんなレベルにしか達していなくて、ひとに教えるヨユウなんかないのです。
それに、私だって同じ受講料を払って習いに来ている生徒なのに、先生より私の方が細かいことを聞きやすいからって、甘えるな!と思ったのです。

私は彼女に何も教えませんでした。

あの時のなんとも言えない嫌な気持ちは、今もまだ、私の中に残っています。

ずるい、と思った。

私が35年もかけてやってきたことを、何の苦労もなく、無料で、あんたは私から盗もうというのか!
と。

相手は大人だし、一緒に住んでもいないから、その時腹をたて、しばらく顔を背けただけで、今は普通の関係ですが。。

もし、彼女が私のこどもだったら。
いつも一緒にいて、四六時中、私の目の前をうろちょろしていたら。
私が一生懸命小説を書いている横で、大声で泣いて、教えろ教えろと言われたら。

私は彼女の背中を蹴って、黙らせるかもしれません。

たぶん、私の中にも、あのお母さんと同じ根がある。
そんな風に感じました。


posted by kanaliyahouse at 22:49| Comment(4) | TrackBack(0) | 大切なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
女性の『自分が産み、育てた子供』に対する感情の働き方って(皆がそうとは思わないけど)特殊だと思うんです。
もしかしたらカナリヤさんは、相手の方が他人で、自立した大人であるからこそ”ずるい”って思ったのかもしれませんね。

私が『虐待してしまうかもしれない恐怖』と度々戦っているといったら、カナリヤさんは驚くのではないでしょうか?笑
Posted by sizuku at 2006年03月16日 07:59
♪sizukuさん、コメントありがとうございます。

うん。。
私はこどももいないし、結婚もしていないので、自分のこどもに対する特殊な気持ち、というのは想像するしかありません。

>もしかしたらカナリヤさんは、相手の方が他人で、自立した大人であるからこそ”ずるい”って思ったのかもしれませんね。

いや。
相手がこども(自分の子でなくても)でも、同じだと思います。

でもね、何でも教えるのが嫌かというと、全然そうじゃなくて、たとえばアロマセラピーとかは誰に何を聞かれてもOK、というかむしろとても嬉しいので、これもまた一概には言えない。。

>私が『虐待してしまうかもしれない恐怖』と度々戦っているといったら、カナリヤさんは驚くのではないでしょうか?

そうか。。
sizukuさんが一線を越えない理由はなんだろうと思いました。
もしかしたらね、あのお母さんには一線を越えない理由が弱かったんじゃないか、って思うんです。
根はみんなにある。
そのことから逃げるひとは、もしかしたら、根が伸びてがんじがらめにされちゃうんじゃないか、と感じました。



Posted by kanaliya at 2006年03月16日 08:32
子育てって、本当に逃げ場がないんですよね。
今まで逃げてきた自分との直面って感じです。
友人関係とかでも逃げてごまかしてきたことが形になって現れるって感じです。
しんどくてたとえば血尿になっていたとしても、子供はおなかがすいたといって泣き叫びます。
私がヒステリックになると子供も一緒にヒステリックになって大泣き。。
虐待の一歩手前、、なんてことはよくありました。
ただ、やはり人としてやってはいけないライン、、それは当然守らなくてはいけないですよね。
親ってわかってるんですよね。。。
親がどんなに不出来で、子供に暴力を振るったとしても自分の子供は親を許そうとするってことを。。。
だから、そういう子供に甘えて虐待になってしまうのかも、、と思います。
みんな、そうなりそうな自分と戦って「愛」で越えて言ってるんだと思います。
「愛」はもともとあるんじゃなくてそうやって越えたときにやっと芽生えるのかも知れません。。。
そう思います
Posted by nakamama at 2006年03月16日 20:55
♪nakamamaさん、コメントありがとうございます。

>しんどくてたとえば血尿になっていたとしても、子供はおなかがすいたといって泣き叫びます。

。。。
私も母にそんな思いをさせて、大きくなってきたのかなあと思いました。
母が怒ったことはほんの数回しかない。
父は毎日怒ってましたが(恥)

>だから、そういう子供に甘えて虐待になってしまうのかも、、と思います。

こどもに甘える、っていうこと。
そうかもしれないなあと思いました。

蹴りながら、殴りながら、でも、甘えている。。。

私もいろんなひとや、ものに甘えてばかりです。
これじゃあ、いかん。
と思いました。
Posted by kanaliya at 2006年03月16日 23:00
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