2005年06月20日

フジコ・ヘミングの言葉

ふじこ「自分の命は自分の為にあると思ったら大間違い。
自分より弱い誰かを助けたり、 野良一匹でも救うために、人は命を預かっているのよ」

今日、会社帰りにフジコ・ヘミングの版画展に行ってきました。
フジコ・ヘミングさんといえば、世界的なピアニストです。若い頃に両耳の聴力を失ったという話はあまりにも劇的です。

彼女が音楽だけでなく絵にも才能があるということを、数日前まで私は知りませんでした。


会場に展示された作品はどれも綺麗な色づかいで、優しいタッチ。フジコさんの激しいイメージとは違い、穏やかな画風です。

版画もすばらしかったけれど、それ以上に私は絵にひとつひとつ添えられたフジコさんの言葉に釘付けになりました。

実は、私には自殺願望があります。
40歳にもなって独身で派遣なんかして、親を心配させて、ふらふらしている己を、時々たまらなく罰したくなるのです。
かつて取り返しのつかないことをしてしまった悔いもあります。

生きていてはいけないのではないかと思う時もあります。楽しいことやおいしいことや嬉しいことや、その他いろいろな人生の喜びを、味わう資格がないのではないかと。

けれど、今日、フジコさんの言葉に触れて、感ずるものがありました。

私より弱い生きもの。
たとえば小さな猫とか、小鳥とか。
そういうものを救うためだけにでも、生きていていいのだとしたら。

それなら、少し、できるような気がします。

たとえば老いた両親に優しい電話をかけるとか、たとえば電車の中でおなかの大きな妊婦さんに席を譲ってあげるとか。
そういうことでもいいのなら、ちょっとはできる気がします。

私は私の命を自分のものと思っていたけれど、そういう、私より弱いひとや生きものを助けるために、神様から少しの間、お預かりしているだけなのだとしたら。

少し、気がラクになりました。
お預かりしているものならば、いつか返せる日が来る。その日まで、少し、辛抱すればいいのだ。。と。

冒頭に引用したフジコ・ヘミングさんのお言葉は、私が記憶して書いただけのものです。なので言葉使いなどが原典と異なっているかもしれませんので、ご了承ください。



posted by kanaliyahouse at 23:34| Comment(14) | TrackBack(0) | 大切なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
『人は有限の時間と肉体を与えられてその中で必死に幸せを求めてもがくのだ。』とかつて私が絶望のふちに立ったときに話してくれた人がいました。
その言葉をふと思い出しました。
ちょっと違うコメントでごめんなさい。

kanaliyaさんの優しい言葉にたくさん支えていただき私は生活を送れてます。
だからkanaliyaさんがいなかったら今の私はいないのです。
kanaliyaさんは私にとってかけがえの無い大切な方です。

見失いそうになったら、精神的にも弱くてまだまだ中身も幼いひまわりのために生きてるんだって思ってね♪
図々しい!?
いつものことですから(笑)
Posted by ひまわり at 2005年06月20日 23:51
お久しぶりです。
うちのばーちゃんが、よく言ってました。
「人間、死ぬまで生きないかん」

最近になってやっと意味が分かるようになりました。kanaliyaさんが書かれていることと同じ意味なんじゃないかと・・・。


Posted by akira at 2005年06月21日 00:01
人は生きているのではなく、生かされているんだ。
自覚出来ようが、出来まいが、やるべき事をやり遂げるまでは、死ぬ事は許されないんだって、教えられた事があります。
子供の頃から、何度も死にかけて、まだ生きているのは、きっとまだやらなければ行けない事があるんだろうなって、日々思いながらいます。
自殺とか自分の意志でそれを終わらせるのは、どんな罪より重いって、言われた事もあります。
それが心に残っているので、タバコを吸う程度の、消極的な自殺行為で、なんとか生きながらえてます。
必要としてくれる人が、1人でも居る内は、精一杯期待に答えて行こうと思ってます。
多分、足りてはいないと思いますけれどね・・・・・
Posted by メガヒゲ at 2005年06月21日 00:05
わたしは沖縄(文化、思想)が大好きなのですが、「命こそ宝」(ぬちどぅたから)と言う言葉が古くからあり大切にされています。
沖縄では自死することはもっともいけないこととされていて、自死した人の骨はお墓には入れてもらえないのだそうです。歴史的に無残にも命を捨てさせられた場所だということもあり、沖縄の人はこの言葉を今でも大切にしているのです。
沖縄に行くと本当に命の重みを感じます。
そうですね、いつか行きましょう。わたしがガイドをしますから。
Posted by 紗吏 at 2005年06月21日 00:25
♪ひまわりさん、コメントありがとうございます。

>人は有限の時間と肉体を与えられてその中で必死に幸せを求めてもがくのだ

「有限」の時間というのが、ときどき無限だと錯覚をして苦しくなるのです。
この言葉を思い出すことができれば、私も頑張れるかもと思いました。

>見失いそうになったら、精神的にも弱くてまだまだ中身も幼いひまわりのために生きてるんだって思ってね♪

はい。
ありがとうございます。

Posted by kanaliya at 2005年06月21日 07:25
♪akiraさん、コメントありがとうございます。

akiraさんのことはいつも、こころの中にあります。

>うちのばーちゃんが、よく言ってました。
「人間、死ぬまで生きないかん」

おばあさまはまわりの方だけでなく、ご自身にも言い聞かせておられたのかもと思いました。

ありがとうございます。
Posted by kanaliya at 2005年06月21日 07:28
♪メガヒゲさん、コメントありがとうございます。

>自覚出来ようが、出来まいが、やるべき事をやり遂げるまでは、死ぬ事は許されないんだ

この言葉をいただいて、私も今、なにかがわかった気がします。

ありがとう。


♪紗吏さん、コメントありがとうございます。

>いつか行きましょう。わたしがガイドをしますから

なによりの言葉です。
ありがとう。

その旅に、連れていきたいひとがいます。
そのひとの姿は見えないけれど、ずっと私のそばにいるそのひとを、私を通して紗吏さんとの旅に連れていけたら、こんなに嬉しいことはないと思いました。


Posted by kanaliya at 2005年06月21日 07:35
kanaliyaさんの言葉も、皆さんの言葉もみんな重くて、私はなんて書こうか朝からずっと迷っていました。

フジコさんの音楽や絵画は、もうそれだけで人の心を解く力があるように思います。

ずっと前、NHKが彼女の特集番組を放送していました。
猫と一緒に生活をしていて、ご自分の持っている感性をとても大切になさって生活されているようでした。綺麗なレースをご自分の衣装にご自身で縫いつけたり、ピアノも納得いくまで弾き続けたり…。こういった生活そのもの・ご自身そのものが、絵や曲に現れているのだなと思いました。

高名な音楽家と恋をして、そして別れて…というお話もさらりとされていた事が印象的でした。
とてもおばあちゃまなのですが、少女のような感性も持ち続けている芸術家なのだなと思いました。

Posted by RinRin at 2005年06月21日 12:10
♪RinRinさん、コメントありがとうございます。

沢山考えて、丁寧にコメントくださって、ほんとうに嬉しいです。

フジコ・ヘミングさんのこと、何度かTVで拝見したくらいでよく知らなかったのですが、ああいう方と同時代に生きられるって、なんと素晴らしいことかと思いました。

Posted by kanaliya at 2005年06月21日 20:07
そういう思いからピアノを弾くので彼女から出てくる音は深いんですね。
kanaliyaさんはとても人の為に生きようという思いが自然に出て来る方だと思います。

人は人と関わって人の為に生きていくことでよく回っていくんだと思います。
それが上手く回らないとき、空しさが湧き出て来るんだと思います。

私もよく空しくなりますよ、、、。
家族がありながらでも、ね。。。
誰でも時にそうなるんでしょうね。
そして、kanaliyaさんのようにまた自分を見つめて歩いていくんだと思います。
立ち止まるときが、深くなるチャンスですよね。
Posted by nakamama at 2005年06月21日 22:28
♪nakamamaさん、コメントありがとうございます。

>私もよく空しくなりますよ、、、。
>家族がありながらでも、ね。。。

意外です。
nakamamaさんがむなしくなるなんて。。

>立ち止まるときが、深くなるチャンスですよね。

私もこの場所で何度も立ち止まり、その度に考えさせてもらいました。
ひとりで立ち止まるのと、誰かによりそってもらって立つのとは違うと思っています。

いつかnakamamaさんが立ち止まるとき、私も寄り添わせていただきたいと思いました。
Posted by kanaliya at 2005年06月22日 07:09
昨日フジコヘミングのコンサートにいって、強いピアノ演奏とは対象的な優しい版画のことが気になり、はじめてここにお邪魔しました。そしたら自殺願望があったという言葉に衝撃がはしりました。息子31歳が2年前から行方がわかりません。自分の意志で家を出たのだと思いますが,でも絶対生きていると確信しています。息子がこんな状態なのに、コンサートなんか行って、それこそ好きなこと、楽しいこと、なんかしてと人は思うのでしょうか?それでも私は生きているのです。生活しているのです。どこかで必ず生きている息子を信じて私は生きていきます。この世に必要のない命なんて絶対に有りません。あなたがいることだけで、お母様や,ご家族も生きていられるのです。いることだけで良いのですから、あまり無理はしないで、のんびりとね。と私自身にも、
いいきかせています。あなたとお会い出来て良かった。
息子もここ見つけてくれないかな?またおじゃまさせて下さい。


Posted by なさけなママ at 2006年05月17日 12:22
♪なさけなママさん、コメントありがとうございます。

息子さんがどうしておうちを出られたのか分かりませんが、お母さまが絶対生きていると確信しておられ、また自分の意志で出たのではないかと予感しておられるということは、たぶん、それで間違いないのだと思います。

ずうっと以前、祖母がなくなったとき、東京にいる私を気遣って、福岡の両親は祖母の容態が悪いのを秘密にしていました。
でもね、亡くなった瞬間はなんとなく、わかるものです。知らされていなくても、そのとき私は自分の体重が少し、軽くなったような気がしました。

軽くてふわふわと落ち着かなくて不安でいたら、母から祖母が亡くなったと電話がありました。

血の絆で結ばれている者どうしは、命のことに関しては絶対にわかるんじゃないかと思います。

別に特別な宗教を持ってるわけじゃないんですけどね。

なので、息子さんは絶対生きておられ、おかあさんの愛も感じていると思います。いつか、会えます。そんな気がします。

Posted by kanaliya at 2006年05月17日 12:37
ところで、フジコさんのコンサートに行かれたとは素晴らしい。そしてうらやましい。
楽しむって、生きているうちにしかできないこと。
それを一生懸命にやって、何が悪いんでしょう。

どうぞ、存分に楽しんでくださいって、思いました。

楽しんだからって、心配な気持ちも不安もゼロになるわけじゃありません。
うんと心配してうんと不安な気持ちに耐えるためにも、楽しみって必要なんじゃないか、って思います。

楽しみは人生の逃げではないと、私は思うのですが。。
Posted by kanaliya at 2006年05月17日 12:42
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。